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10ch「のんびり島じかん」

島一周の道 〜牛飼い続編〜

男木島に通うようになって、不思議に思っていたことが1つあります。
それは、こんな小さな島なのに、島の周囲をぐるっと一周する道がないこと。島の東岸は海風が強く、山が反り立っているので、人が往来するには不向きなのだろうと思っていたら、島の人曰く、「いやいや、わしらが昔、牛を牧場に連れていっきょった道があるんやけどのぉ」とのこと。ならば!と、夏から何度もチャレンジしたのですが、ついぞ見つけられず。
ところが、あったんです、その入り口が。
ちょうど数日前、毎年2月に行われる水仙ウォークにあわせて、島の皆さんが山の手入れをされたそうで、何度も通ってきたはずの道の脇に、きれいに草を刈られた階段が、おとぎ話の入り口のように、ぽっかり口を開けていました。
そんなわけで今回は、冬の間だけ表れるまぼろしの(?)男木島一周の道をご案内します。

夕暮れ.jpgのサムネール画像

集落を歩く

私たちが男木島に通うようになって、半年が過ぎました。
いつもは文と絵で島の様子をご紹介している
「のんびり島時間」ですが、
今日は、私たちの島散歩の様子をレポートしながら、
集落の中を歩いてみたいと思います。

神社から海を見る1.jpg


公民館

高松港発のフェリーに乗船し、男木港に降り立つと、前方やや左手に東西に長い白い壁の建物がある。

島外から男木島を訪れた人の多くはこの建物に関心が向かうようだ―

 

 

 現在、男木漁協の倉庫となっているこの建物は、以前は公民館として利用されていた。

内部の天井は高く、西側にステージが設けられ、その反対側の上方には映写機用の窓がある。

島の人たちは、ここで観劇もし、映画も楽しんだ。

また、小学校に体育館ができる前には、室内での運動を行う場所としても使われた。

kyuukouminkan.jpg公民館の建物が建てられる前には「舞台」と呼ばれる屋根をもつステージがあった。

 

ここでは、毎年夏には島外から役者が来て、夜に芝居が上演された。

公演当日、島の人は日中から弁当をつくり、子どもたちは夜眠くならないよう昼寝をさせられた。

観客席は屋外にあり、席は島内の組ごとにくじ引きで決められた。

ステージに向かって中央縦の筋が最も良い席で、その左の筋が二番目、中央の筋を挟んで反対側が三番目、という具合であった。

芝居は夕暮れから始まり夜中まで行われた。

当時は現在のような堤防も無く、舞台のそばまで海が迫り、芝居の終了時刻が満潮時に重なると、観劇を終えた人たちは波打ち際を歩いて家路に着くこともあった。

 

また、島の若者が歌舞伎などを演じることもあった。

中には役の指導にあたっていた人の目にとまった子どももいた。

その子どもは、島外で泊り込みの稽古に励み、そこでの舞台に出演したという。

 

 

この建物が多くの人を惹きつけるのは、島の人たちのさまざまな思い出が詰まった場所であるからだろうか。

 

 

 

ogikoukara.jpg

Text by 乗松真也

Illustration by 大西順子 

牛飼い

高松沖にある男木島には、かつて牛舎として使用されていた建物が残っている。

現在、島で牛を見かけることはできないが―

 

 

 

戦後間もない頃のことである。

 

男木島の子どもたちは、朝、家にいる牛を牧場に連れて行った。

牧場での餌は子どもたちが刈った草である。

面積約1.4平方キロメートルの小さな島では、餌としての草は足りないくらいだった。

夕方、子どもたちは牛を追い、それぞれの家に連れて帰った。

家では子どもたちが南瓜を切り、さらに芋や麦を混ぜて炊き、味噌を加えたものを牛に食べさせた。

 

男木島では「牛飼い」と言ってほとんどの家で牛を飼っていた。

それぞれの家に牛舎があり、牛舎には牛の寝床として天日干しにしたモバ(藻)が敷き詰められていた。

モバは定期的に取り替えられ、使用されたものは畑の肥料になった。

牛舎のモバを取り替えるのも子どもたちの仕事であった。

 

牛は春秋の農繁期にそれぞれ半月程度、島から外に出た。

その時期になると「牛船(うしぶね)」と呼ばれる専用の船が牛を迎えに来た。

牛は牛船で高松方面へと運ばれ、その先で農作業に使われた。

作業の期間が終わると牛は島に戻ってくるが、その時には痩せこけた姿になっていたというから、貸し先での使われ方は容易に想像がつく。

前回の重労働を覚えているためか、牛船を目にし、乗船を嫌がる牛もいた。

牛が戻ってくる船には、牛の貸し賃として春には小麦、秋には米が載せられていた。

 

農作業のために牛を貸し出すこの風習は、平地が少なく米作りの困難な男木島の人たちが米を手に入れることのできる限られた手段であり、それを支えていたのは子どもたちが担った日常的な牛の世話であった。

 

 

ogijimabokujou.jpg

Text by 乗松真也
Illustration by
大西順子

男木島をのんびり歩いてきました編 ~その1~

島の時間。

その人と出会ったのは、町はずれの防波堤。
普段着に帽子、首にタオルを捲いて、手には一本の棒を持っていた。
「お母さん、どちらに行かれるんですか?」
島をぶらぶら数時間。なかなか人に会えず、
人恋しくなっていた私たち4人は、つい気軽に声をかけてしまった。
「釣りに行くんよ」

釣りという言葉とお母さんの姿がかけ離れていたせいか、
別れた後も、私たちは少しだけ、お母さんのことが気になっていた。
しばらくしてその場に戻り、防波堤の方を見ると、
防波堤の海の際に座った誰かが、私たちに向かって手を振っている。
「さっきのお母さんだ!」
本当に釣りをしていた。

思わず防波堤の上から声をかけた。
島めぐりメンバーの一人が、お母さんの元に駆け寄る。
「釣りする?」
隣に座った彼女に、お母さんは、糸を結んだ一本の棒を渡した。

すでにお母さんは、メバルを一匹釣っていた。
今晩のおかずにするらしい。
「岩の間にたらしたらいいんよ」
ふと見るとお母さんの手には、糸巻きが。
たれた糸の先には、餌になるイカがついている。
気がつくと、他のメンバー二人もお母さんの隣に座っていた。
みんな一緒に糸の先を見ていた。

そんな4人の背中を防波堤の上から一人で眺めていると、
いま世界には、私たち5人しかいないんじゃないか、と思ってしまった。
見えるのは、空と海。聞こえるのは、波の音。
海は広いとか、空は青いとか、当たり前のことが、なんだかとっても愛おしかった。
5人だけが共有する、いまこの時間がとても素敵に思えた...。

あれから一ヶ月...。
島を訪れた日が遠くなれば遠くなるほど、
なぜか島で過ごした時間は過ぎ去るのではなく、
雪のように、しんしんと心に降り積もり続けている。
「お母さん、今日も晩ご飯、釣ってるかなぁ......」

男木島風景イラスト

text by 山本政子
Illustration by 大西順子

■男木島について
(1) もっと知りたい
さぬき瀬戸 しまネッ島
え~じゃないか男木

(2) 行ってみたい
高松港からフェリーで約40分。高松 -- 女木島 -- 男木島のルートで運航しています。
フェリー時刻表
○雌雄海運フェリー TEL 087-851-3270
○男木島観光協会  TEL087-873-0517

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香川から遠く離れていても、電車の中でもパソコンの前でも、思い出せば、いつも瀬戸内海の島を感じることができる。そんな島への道しるべ紀行。

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